東日本大震災から10年。
「べんさん、被災地の子どもたちに歌ってあげてください」と、
みなさんから託していただいた募金で、被災地48カ所へお訪ねしました。
子どもから大人まで三世代の方々に、
たかはしべんの歌で笑顔を届けられたら!と願ってきました。(森田)
 
あの震災をわすれない」 
たかはしべんの動画 https://youtu.be/vbVEwUwTsEw ご覧ください。

 

震災 復興支援の活動

 

私たち一人一人の力は小さいけれど、

みんなが力を合わせれば大きな力になると信じています。

日本中、世界中からの、

支援の輪の一辺にでも入りたいと願っています。

 

悲しいけれど、災難に遭うと、

私たちは、人間本来のやさしさを発揮します。

悲しみを乗り越えて、

人と人の絆を見つめあいたいと思います。   たかはしべん

 

 

福島県矢吹町三神小学校の公演にて(たかはしべん)

 

朝の体育館は0度。暖房を入れて18度に。

コンサート後のお外は18度、おひさまの力はすごい。

121人。各学年20人。子どもたちが可愛いんだ。

1年生は「いいの!」曲で、イスから転げ落ちるんだ。

先生が止めにきたら困ったな!と思ったけど、みなさんいい先生だ。

誰も止めにこなかった。怪我をしない程度に、はじけていい。

子どもたちの喜びや悲しみをそのまま見守ってくれる学校がうれしい。

「べんさん、会いたかった」一人の先生が声をかけてくれた。

子どもたちの笑顔、疲れが吹っ飛んでしまいます。楽しいコンサートでした。    

三神小学校 鈴木尚子先生の感想より/たかはしべんさんって誰? 子どもたち121名は当日をとても心待ちにしていました。朝の歌「せかいじゅうの海が」を大きな声で歌えるようにしようと毎日歌い続けたことで、コンサート内でべんさんと一緒に歌うことができ、とっても幸せだったと思います。

 「どっちにする」の曲の中にも,究極な歌詞から子どもたちの心を揺さぶる仕掛けなどが入り、べんさんの個性が大いに生かされていたと思います。また、ギターの音色と共に「楽しい歌」=「幸せ」を感じることができました。歌から感じた平和、そして子どもたちにとっても生きているからこそ楽しいことがあると感じた1時間であったと感じました。

 限られた時間ではありましたが、保護者さんからは「べんさんがなぜ今でも子どもたちの前で歌い続けているのか、などコンサート内でのトークをお聞きしたかった」との感想もありました。

 素晴らしいコンサートでした。ありがとうございました。     

2015年12月11日

福島県西白河郡中島村立吉子川小学校

中島村吉子川小学校の公演にて(たかはしべん)

 

校長先生はサンタクロースの衣装でコンサート前に挨拶。

こんな校長先生の小学校だから子どもたちは幸せだ。

5年生の男子生徒は「東北さいこう」に、あいの手を入れる。

「元気な生徒なんですよ!」と校長先生。

コンサート後、その子が校長先生に「今日のコンサートは一生忘れない」と言ったとか。

教室を通りかかると、手紙を持ってきた。

「生きていれば楽しいことがたくさん待っているよ」と、一人一人の心に届けられたらこれ以上の喜びはない。

  小野木章校長先生のお手紙から/先日は足元の悪い天気の中、吉子川小学校までお越しいただいて、楽しいコンサートをありがとうございました。コンサートを見た様々の人から「よかったよ」「いいコンサートだったね」というお声を頂きました。昼の放送では子どもたちからのリクエストもあって、今もべんさんの曲が流れています。                        

  1年担任 宗像志真子先生の感想から/べんさんにお会いできて、すてきな歌をきかせていただきありがとうごいました。1年生なので、どんなふうにべんさんの歌を受けとめるのか心配でしたが、曲にも歌詞にも、トークにも、べんさんの優しくて、あったかいお人柄がよく出ていました。今日の出会いを大切にします。

  心がトゲトゲになったら べんさんを想い出しますね。ありがとうございました。

                                   

2015 年9月15日 岩手県釜石市立釜石小学校


 「生き生き生きる、生き生き生きる 一人で立って まっすぐ生きる」(釜石小学校の校歌の一節より)

 震災後、避難所となった釜石小学校体育館で、子どもたちが歌うこの校歌を聴いて、被災した大人たちが勇気づけられた、という話を聴いて、たかはしべんは全国各地の公演で、子どもたちに「釜石小学校校歌」を届けてきました。

 その校歌を、釜石小学校の生徒さんと一緒に歌えることを、森田は願っていました。

 当日は、1、2年生のみなさんが元気に校歌を歌ってくれました。

 子どもたちが歌うと、感動もので、あらためてすごい歌だと思いました。心がザワッとしました。

 公演後、校長先生からお電話がありました。

「べんさんの歌の力はすごいですね。ありがとうございました。」とお褒めの言葉をいただきました。(森田)

 

釜石小学校 2年担任 佐々木先生 

歌や歌詞、べんさんの歌声すべてとても素敵でしたが、何よりも良かったのは「たかはしべん」さんという方の人柄。それが子どもたちの心をつかみ魅了されたと思います。

 一緒に歌を歌ったり、コールしたり、とても楽しいステ−ジでした。終わった後も子どもたちは ずっと べんさんの歌を口ずさんでいました。心から笑顔になれたすばらしい時間だったと思います。

ありがとうございました。

                                  


 

9月16日 岩手県下閉伊郡田野畑村立小学校 

岩手県田野畑村役場復興対策課へ赴任した知人の紹介で、田野畑小学校・若桐保育園・岩泉町立小本保育園にお訪ねしました。田野畑村は小学校1校のみです。1年生から4年生の授業中に、取り組んでいただきました。100名ほどのコンサート。1年ぶりの再訪に、「あ!べんさんだ!」と子ども達の声が聞こえてきました。覚えていてくれてうれしかったです。曲目は『星めぐりの歌』『ゴキブリの唄』『いいの!』『ぼくと点数』『あの青い空のように』と続き、たかはしべんが「おしまいに *『東北さいこう』を歌います」と言うと、子どもたちが口々に「あ!知ってる、知ってる!」。一緒に大声で歌ってくれました。

 たかはしべんは大感激! 子どもってすごいですね。毎年出会うことはとても大切なことだと感じました。

 *『東北さいこう』は、たかはしべんが被災地の方々と交流する中で創作した歌。「東北さ いこう」「東北最高」 「東北再興」を重ねたタイトルで、東北6県の名まえが歌詞に入っています。    

9月16日 岩手県下閉伊郡田野畑村 若桐保育園ホール

「わたし宮沢賢治、大好きなんです」園長先生。

一曲目は「星めぐりの歌」にしました。

子どもたちがあっけにとられていました。

 

「おまじない」の歌。

「ねーギュッてして」

みんなが思い思いに「ギュ」可愛いです。

9月17日 岩手県下閉伊郡岩泉町立小本保育園              園舎被災のため、中里交流センターにて      

岩泉の小本保育園のコンサート。

園舎は津波で流されて、仮設園舎に。

来月新しい園舎に引っ越すそうです。

子どもたちが林の中を先生に手を引かれ歩いてきます。

ドキュメンタリーの映像を見ているみたいでした。

初めて聴いてもらう子どもたち。

べんさんの歌に転げ回っていました。

2015年3月5日福島県白河市立五箇小学校

 福島県白川郡中島村立吉子小学校 学校の都合で変更になりました。 昨年11月にお訪ねしました田村市立菅谷小学校 岡村校長先生のご紹介で白河市立五箇小学校にお訪ねしました。五箇小学校 校長先生は、急遽決まったのにもかかわらず大変喜んでいただきました。女の子が2人、男の子が6人の1年生が一番前ではじけていました。

6年生はもうすぐ卒業。「すべては明日のために」を歌いました。この曲は、大人から子どもたちへの贈る歌でもあります。

曲目:「深き大地」「おまじない」「どっちにする」「はえをのみこんだおばあさん」「僕を笑わないで」「すべては明日のために」「東北さいこう」「せかいじゅうの海が」

コンサート後、給食室で100人の生徒さんと食事。コンサートでプレゼントした たかはしべんのCDを聞きながらの給食でした。次回は「保護者のみなさんにもきいてもらいたいですね」と校長先生がお話されてました。

帰りに校庭で遊んでいた子どもたちが駆け寄ってきてたかはしべんに握手。

校庭には放射能の線量計が。白河にも避難している人がいます。

崖崩れなどで12人が亡くなっています。全壊、半壊の住宅は1000棟におよびます。    

2015年3月6日福島県白河市東幼稚園

 たかはしべんが息を吐くだけでも 子どもたちから笑い声。

歌ものがたり「おおきなかぶ」 一緒におおきな おおきな おおきなかぶを子どもたちをぬきました。やったね〜できたね〜ハイタッチ みんなで ハイタッチ。たかはしべんにどんどん近づいてくる園児さんをみて 先生たちも笑顔いっぱいになりました。曲目:「深き大地」「おはよう」「おかあさんあのね」「おおきなかぶ」「かじっちゃだめだよ」「いいの!」「思い出のアルバム」「東北さいこう」「笑って平和」

園長先生とお話。

「前の園で震災にあったのですけど、危機一髪で子どもたちを救えました。外に避難した後に園舎が倒壊しました」

揺れが始まって、すぐに外に避難して助かった。

「東幼稚園の園庭は最近除染しました。やっと子どもたちが外で安心して遊べます」

まだまだ震災の影響があります。

2015年3月7日宮城県気仙沼 おひさま保育園

 おひさま保育園の公演は3度目になります。

「べんさん、子どもたちは元気ですけど、親たちが疲れているんです」

気仙沼のおひさま保育園の里見理事長さん。震災から4年、狭い仮設住宅で暮らす親子。

家を流され、仕事を失い、心の持って行き場が無いのです。ささいな事で夫婦喧嘩にもなるのでしょう。

おひさま保育園、ご家族の方と一緒のコンサートでした。

パパやママと一緒で、子どもたちはうれしそうでした。

帰る時に女の子が、「べんさんギュッてして」と。

そばにいた男の子にもギュッてしたら、女の子が「またギュッてして!」

3回もギュッてしました。

「べんさん、みんなにギュッてしてあげてください。おばさんにも、おじさんにも」と里見理事長さん。

里見理事長さんもギュッてしました。

曲目:「深き大地」「おまじない」「おおきなかぶ」「いいの!」「思い出のアルバム」「キャーのうた」「東北さいこう」「せかいじょうの海が」

2014 年9月8日釜石市役所、釜石小学校

 震災後、たかはしべんは釜石小学校の校歌に出会い、

コンサートで歌ったところ、聴いた人たちから

「勇気づけられた」「良い歌なので歌詞をおしえてほしい」など大きな反響がありました。

 釜石市教育委員会に連絡、この歌を歌う事への承諾を頂きました。

この9月に釜石の教育委員会をお訪ねし、ご挨拶をしました。

今、学校は震災時の体制から、普通の学校生活に戻そうとしています。

生徒さん達への急な公演等はご遠慮いただいているそうです。

「釜石小学校校歌を歌っていただきありがとうございます。

被災地の様子を全国へ届けて下さっていること感謝します」

とおっしゃってくださいました。

 課長さんご自身は、震災の時、広報課に在籍しておられて、

日々、取材の対応で何日も自宅へは戻れなかったそうです。

今は仮設住宅で暮らしておられます。

「今、わたしたちに出来る援助はありますか?」とお聞きしました。

「私は、釜石の吹奏楽団に入って活動しています。

この時は、演奏が楽しくて震災のことを忘れられます。今、指導者がいないので大変です」

 実演者団体の楽器指導のボランティアも考えられるかも知れません。

 

 「年に一回、劇団や音楽団体をお迎えして学校公演を開催しています。

子どもが主体の舞台はその時にお願いしたいですね。」と。

釜石市市民生活部 地域づくり 地域づくり推進課」もお訪ねしました。

「釜石市市民生活部地域づくり推進課では毎年、フェスティバルを行なっていて、

その時に演奏協力していただけたらうれしいです。」とのこと。

 

 釜石小学校へも足をのばしました。

 高台の小さな路地を上がったところ、日当りの絶好の場所に学校があります。


 釜石小学校の校長先生とお会いしました。

震災のときから三人目の校長先生です。

現在の校長先生も被災していました。

校長先生の名刺の裏には校歌の歌詞が。

被災した人たちが釜石小学校に避難した時、毎日校歌を歌ったそうです。

 

釜石小学校校歌

【作詞】井上 ひさし【作曲】宇野 誠一郎

いきいき生きる いきいき生きる

ひとりで立って まっすぐ生きる

困ったときは 目をあげて

星を目あてに まっすぐ生きる

息あるうちは いきいき生きる

 

はっきり話す はっきり話す

びくびくせずに はっきり話す

困ったときは あわてずに

人間について よく考える

考えたなら はっきり話す



 

しっかりつかむ しっかりつかむ

まことの知恵を しっかりつかむ

困ったときは 手を出して

ともだちの手を しっかりつかむ

手と手をつないで しっかり生きる

 

 

10月号 広報「たのはた」掲載 いただきました。

9月9日 田野畑小学校

岩手県田野畑村 復興対策課へ赴任した知人の紹介で 

田野畑小学校、若桐保育園、たのはた児童館にお訪ねしました。

田野畑村には1校のみ小学校です。授業中に取り組んでいただきました。

1年生から4年生の100人ほどのコンサート。

子どもたちが大ノリでした。素朴な子どもらしい子どもたちです。ホッとします。

校長先生に被災の話をお聴きしました。

「子どもは前にむいて生きていこうとしています。

でも親(大人)が前をむいて生きていくには、まだまだ時間がかかります。

その親(大人)の顔を見て育つ子どもにも影響が出て来ています。

心のケアーは時間がかかります。」

とっても喜んでいただきました。東京から一番遠い被災地へ  

あまり実演団体は いらっしゃらないそうです。

みなさまの生の舞台を届けていただけたら幸いです。

9月10日若桐保育園、たのはた児童館

若桐保育園とたのはた児童館のコンサート。

子どもたちが舞い上がっていました。

そうそう、若桐保育園で、歌っている最中に大きな地震。

震度4とか。

「久しぶりに大きな地震でした。」

泣き出した子どもも。

お部屋で先生が子どもたちを囲んで。

大きな子たちは、あの地震を体験しています。

 

9月11日堤乳児保育園

コンサート後には「おはよう、おはよう」「いいの!」

子どもたちの声がお部屋から聞こえてきました。

どこも可愛い子どもたちです。

森田はコーディネートと「笑って平和」の踊り子。

 園は津波に遭いませんでしたが、園の先生の3分の2は仮設住宅住まいです。

当たり前のようにそんな話が聞こえてきます。

園から津波で被害にあった町が見下ろせます。

そこらは工事中で、園が見えるのに道がわからないのです。

すっかり迷いました。

 

吉里吉里小学校です。

 井上ひさしさんの「吉里吉里人」の舞台の町。そして「ひょっこりひょうたん島」の島。

 今日は山田、田老、大槌町、と被災地を巡ってきました。

宮古、釜石なども同じですが、岩手県は復興がまだまだです。

津波をうけた建物がそのまま残されていたりします。

宮城や福島との温度差を感じます。

 

 

 心によりそうこと         たかはしべん(べんブログより)


 名取市名取が丘児童センターには、被害が大きかった海岸に近い「閖上地区」の子どもたちも多い。家族を亡くした子どもさん、家も流されています。「この子も閖上なんですよ。この子もです。この子もです。ヘリコプターでつり上げられた子もいます。

 震災直後は、地震や津波の話を極力避けていました。でも、カウンセラー

さんは、つらい気持ちを吐き出させた方がいいと。それからは、子どもたちの話を聞くようにしています」と、児童センターの職員さん。

 ぼくの歌で、笑顔いっぱいの子どもたちと出会うことができました。

 何より、お母さんたちの笑顔がうれしかった。「おまじない」での涙。

 ぼくの歌で力になれる、それを実感しました。(自慢しちゃいました)


 この時期になって、やっと子どもたちの心が安定してきています。お芝居を観たり、歌を聴いてもらうのは、これからなのじゃないかな。

 被災直後は、つらくて歌える状況ではありませんでした。

 「いのちは助かったけれど、これから先、どうしたら…。」途方に暮れている人に「さぁ歌を歌って元気をだしましょう!」は難しい。 


 ボランティアは、多分に自己満足の傾向があるのです。

 「誰よりもいち早くボランティアに出かけた」とか「悲惨な状況を見てきました」とか。

 ぼくも人のことは言えません。

 コンサートで震災のことを話すわけです。

 一方では自己満足です。一方では、多くの人に話すことで支援の輪を広げることができる。

 背中合わせです。

 「大切なことは、被災した人たちの気持ちに寄り添うことです」

 誰かの言葉でした。


 誰にことわるわけでもなく、津波で高い枝に引っかかったゴミを、自主的に処分しているボランティアを見ました。志の高いボランティアです。

 今回のような大震災での援助は、半年くらいは、物資を届けたり、片付けを手伝ったり、話を聴いたり、子どもたちと遊んだり、のボランティアが求められる。

 子どもたちの心のケアはこれからが大切なのです。

 

  あのやさしさを忘れない

 震災後に思います。

 あの時には、見知った人も、見知らぬ人も、みんなが助け合いました。

 人と人の絆が大切なのだ!と思いました。 そのことをいつまでも忘れない、それが、つらい震災を体験し、生き残った私たちのつとめなのでは?

「お金よりも人と人の絆、と思った、あの日を忘れない」 願っています。